ロシア民族衣装のお店キリコシナ
ロシア民族衣装のお店 キリコシナ

ロシアファッションヒストリー16 ココシュニック2

未分類
この記事は約6分で読めます。

ロシアファッションヒストリー 16 ココシュニックの2回目です。

前回からの続きです。ロシアファッションヒストリー15 ココシュニック1

ココシュニック

中世のロシア北部の女性の衣装の基礎が皆さんよくご存知のサラファンであることは、1376年のニコンクロニクル(ロシアの年代記)で最初に言及されたことを以前の当ブログ記事で紹介したことがあります。最初は高貴な男性が着用したコートとしてサラファンのスタイルがまず定着し、17世紀までに、女性の衣装としてサラファンは今おなじみの外観を獲得、そして定着しました。

そして今回のテーマの「ココシュニック」という言葉は、サラファンに遅れること300年後の17世紀の文書の中で初めて出てきました。古代ロシア語の「ココシュ」は「鶏」を意味しました。おそらく、この帽子は鶏の「とさか」との類似性のためにその名前を得たと想像されています。ココシュニックの形はサラファンの三角形のシルエットを強調する役目もあったと考えらています。またココシュニックはビザンチン時代の衣装の影響を受けてロシアに現れ、主に高貴な女性によって着用されていたとという記録が残っています。貴族の間で伝統的な民族衣装の着用を禁止したピョートル大帝の衣装改革の後、サラファンとココシュニクスは商人、農民のファッションの中に残りましたが、貴族たちが着用していた絢爛豪華な装丁ではなく、ごく控えめな形で保存されてきました。

個人の「ココシュニックコレクション」から ノヴゴロド県。18世紀後半から19世紀初頭 出典:国立歴史博物館

ココシュニックをかぶる女性 オルロフ地方 19世紀 
出典:ロシア民族学博物館財団

18世紀と19世紀、これらココシュニックは数多くの形とそれに応じた色々な名称を持っていました。その一つに、17世紀の書かれた書物にある「サムシュラ(シャムシュラ)」というものがあります。上の画像の金色のココシュニックがそれです。この名称は、おそらくロシア語の動詞「シャム」に由来し、「押す」を意味するだろうと考えている研究者がいます。確かに上から押さえつけているようにも見えますね。このようにいわゆるキャップに見えるココシュニックは、当時かなり日常的な衣装の一部でした。しかし、上の2枚目の白黒画像のような背の高いココシュニックも、しわしわに見えますが、これも押されたようには見えないものの「サムシュラ(シャムシュラ)」と呼ばれていました。けれどもこのような丈の長い目立つものは主に休日にかぶるものだったようです。

 

女性のお祝いの頭飾り-ココシュニク 19世紀後半のプスコフ
出典:ロシア民族学博物館

 

女性の休日の衣装。プスコフ
出典:ロシア民族学博物館

上の2枚の画像のような、細長い三角形の形の古典的なシルエットのココシュニクは「プスコフ」と呼ばれていました。お団子状の突起の数は「たくさんの子供たち」を象徴し、いわば子宝を願ったものでした。それらは真珠で飾られ、新婦はそのココシュニック上に金糸のスカーフを巻くのが習慣だったようです。そのようなココシュニクは当時のお金で2〜7000ルーブル銀の費用がかかったとされ、それは母から娘に渡され、遺産として家族の中で大事に保管されるものでした。当時のお金の1ルーブルが今の幾らに相当するかわかりませんが、18世期のロシアが舞台であるプーシキンの小説「大尉の娘」の中で、主人公は偽の皇帝ブガチョフから数日の旅に必要な資金として0.5ルーブルを与えた、という記述があります。とすれば1ルーブル10万円は下らない価値でしょうか。

さて画像のようなココシュニックはプスコフ・ココシュニックとして18世紀と19世紀にロシア全土でよく知られていました。

 

女性のお祝いのココシュニック 19世紀後半のプスコフ
出典:ロシア民族学博物館

上の画像のココシュニックは、18世紀と19世紀を通して最もオリジナリティーの見られる種類の一つです。これらは休日用で、貴石で飾られており、素材はシルク、ベルベットで作られています。小さな帽子で「キャベツ」に似ていたのでそうとも呼ばれました。ココシュニック「キャベツ」はトヴェル地方で非常に一般的だったので、それは地域の人たちの「名刺」と言われたほどです。「ロシア」をテーマとしていた画家たちにはこれを気に入った人が多く、例えば、アンドレイ・リャブシュキンは「日曜日」と題した(1889年)絵の中でトヴェル・ココシュニクの女性を描いていますし、

絵画「日曜日」
出典:Public Domain

また画家アレクセイ・ベネチアーノフは「商人の妻オブラツォフ(1830)の肖像画」にこのココシュニックを描いています。

アレクセイ・ガブリロビッチ・ヴェネツィアノフ(1780-1847)「商人オブラツゾフの妻の肖像」1830
出典:Public Domain

 

 

С.В.Александровский-1842-1906-«Молочница».

このように、19世紀終わりまではロシアにおいて、形や呼び方に違いはあったもののいわゆるココシュニックと呼べるものは非常に多様でかつポピュラーでした。しかし、こうしたココシュニックは日常の生活からは徐々に消えていくこととなります。そうして女性が頭にかぶるものととしてココシュニックにとってかわったのは上の画像でご覧のようなプラトック、あるいはショールとよばれるものです。ロシアの古い映画や、ロシア民謡を歌う女性の衣装でもよく見られるものですね。ロシアのチョコレートの有名ブランド「アリョンカ」の女の子がかぶっているあれです。

では次回は現在でも汎用されているスカーフ、ロシア語で「プラトック」の話です。

 

参考文献およびウェブサイト(すべてロシア語です):
https://russian7.ru/post/kak-poyavilas-kosovorotka-u-russkikh/
https://vrns.ru/analytics/1394
・R.V.サハルジェフスカヤ「衣装の «歴史:古代から近代へ」
・カミンスキーN.M.「コスチュームの歴史」
・Далю(ダーリョ)「Толковый словарь живого великорусского языка」
https://www.culture.ru/

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました